子どもを遊ばせる場所がたくさんあるので、
わざわざ探さなくても、日常生活のなかで
自然と見つけることができます。

 

山口に戻る時期が早くなるか遅くなるかの問題だったので、
引っ越すことへの抵抗はまったくありませんでした。
Q.山陽小野田市に移住するまでの経緯を教えてください。

洋さん:
東京では環境省系の財団法人に勤め、モンゴルや西アフリカなどの乾燥地を対象に、砂漠化防止といった課題解決のコンサルタント業に携わっていました。ただ、両親の面倒を見るために、いずれ山口県に戻りたいという気持ちがありました。そこで文部科学省系の団体が運用する、大学講師や研究職関連の求人サイトで山口県内の仕事を探し始めました。そして偶然、現在の講師の仕事を見つけ、地域研究の求人枠だったので、これまでの経験を活かせると思い応募しました。

綾子さん:
山口に戻るのは、娘が幼稚園に入る前か高校を卒業した後がいいなと考えていたので、ベストなタイミングでした。東京ではマンションを購入していましたが、戻る時期が早くなるか遅くなるかの問題だったので、引っ越すことへの抵抗はまったくありませんでした。

Q.移住するにあたり大変だったことはありますか?

洋さん:
採用決定から勤務開始まであまり時間がなく、事前に地域のことを調べる余裕がありませんでした。そんな私たちに代わって、両親が「住むならこの辺りがいいよ」とエリアを絞ってくれました。おかげで、希望どおりの家を見つけることができました。また、引っ越しが3月のシーズン真っ只中だったため、業者をおさえるのにとても苦労しました。おまけに荷物をすべて持っていくとなると、費用がびっくりするほど跳ね上がってしまって…。そこで両親に新居まで来てもらって、宅急便で送った荷物を受け取ってもらうことにしました。車で1時間ほどの場所に両親が住んでいて、本当に助かりました。

Q.住み始めてからの山陽小野田市の印象を教えてください。

綾子さん:
工業地帯、漁村、農村、さらに歴史や自然スポットなど、いろいろな場所が混在していて面白い街だと感じています。同じ山陽小野田市でも、小野田駅周辺は小さなお店が多く、学校が集まっていたり、私たちが住んでいる南中川駅周辺は、ショッピングモール(おのだサンパーク)やレノファ山口FCが練習をするサッカー場など大きな施設があったりと、雰囲気がまるで違うんですよ。また、魚や野菜が美味しくて、特に魚は売り場が広く種類もたくさんあります。

洋さん:
地元の下松市と同じ瀬戸内地方なので、景色はそんなに変わらないだろうなと思っていました。しかしこちらに来て、夕陽があまりに美しくて驚きました。また、古くは毛利氏の時代に始まり、「笠井順八」※による産業の発展、鉄道の成り立ちに至るまで、地域研究の対象として興味深いものばかりです。大学生たちに産業や地域性を教えるうえでも、よい教材になっています。

笠井順八…明治14年に日本初の民間セメント製造会社(のちの小野田セメント株式会社)を設立。ほかに硫酸会社の誘致や道路建設、鉄道会社の設立などにも携わり、山陽小野田市の発展に大きく貢献した。

病院は、診察までの待ち時間がほとんどありません。
幼稚園も、抽選がなく確実に預けられるので助かります。
Q.楽しいと感じるのはどのような時ですか?

綾子さん:
娘と一緒に過ごすなかで、日々の成長を見られる時です。少し前までは話す言葉も少なかったのですが、ずいぶんと口が達者になりました。東京生まれですが、今ではすっかりこちらの方言をマスターしています(笑)。

洋さん:
やはり家族と一緒に過ごす時間が楽しいですね。みんなで「おのだサンパーク」によく行くのですが、ファストフード店とゲームセンターが娘のお気に入りで、なかなか帰ろうとしてくれません(笑)。また、自然が身近にあるので、娘を連れて行くと喜んでくれます。特に、山はそんなに高くないので、子どもが小さくても安心なんですよ。

綾子さん:
夏になると、竜王山公園のヒメボタルがきれいなんですよ。下松市に住んでいた頃は、川沿いに生息するゲンジボタルしか見たことがなかったので感動しました。ほかに、須恵健康公園や江汐公園、焼野海岸にもよく行きます。わざわざ探さなくても、車に乗っている時など日常生活のなかで、遊ぶ場所を見つけることができます。

ファッションやグルメなど多数のショップが集まる複合商業施設「おのだサンパーク」。
竜王山公園では、ピクニックや花見の際に、両親や友人と弁当を囲むこともあるそう。
Q.生活に変化はありましたか?

綾子さん:
家の敷地に駐車スペースがあるので、車を持てるようになりました。おかげで休日の過ごし方が変わり、美祢市の「秋吉台自然動物公園 サファリランド」や下関市の「市立しものせき水族館 海響館」、宇部市のときわ公園など、娘が望む場所に連れて行けるようになりました。

洋さん:
通勤のストレスがなくなったのは大きいですね。以前は職場まで、満員電車を乗り継いで30分ほどかかっていましたが、現在は車でわずか10分ほどです。

Q.子育てはしやすい環境ですか?

洋さん:
都会だとどこに行っても人が多く、例えば公園の場合、1つの遊具にたくさんの子どもたちが集まっていました。その点、山陽小野田市の公園は広いので密にならずに安心です。昨今のコロナのことを考えると、こちらに移住していなかったら家の中に閉じこもったままで、娘に窮屈な思いをさせていたかもしれません。

綾子さん:
以前通っていた病院は、受付開始と同時に予約をとらないと、50人待ちになることも珍しくありませんでした。それが今利用している病院は、いつでもすぐに診察してもらえるんですよ。

移住してから、両親に娘を見せる機会が格段に増えました。
時には両親の助けを借りながらも、親孝行ができています。
Q.現在の仕事について教えてください。

洋さん:
山陽小野田市立山口東京理科大学で講師をしています。専門分野は地域研究で、山陽小野田市の産業の成り立ちと地域社会の関係を、さまざまな側面から捉えています。授業には地域の企業が抱える技術的な課題をヒアリングし、グループで解決策を考えるというものがあります。授業を通して地元の企業や産業に興味を抱き、卒業後も地元に残りたいと思ってもらえたら嬉しいですね。山陽小野田市には、高い技術を有していたり、特定の分野でトップシェアを誇っていたりと、素晴らしい企業がたくさんあるんですよ。

「山陽小野田市について、研究したいことはまだたくさんあります」と話す洋さん。
Q.これからこの街で、どのようなことをしたいですか?

洋さん:
小野田商工会議所の青年部に所属していて、現在、8月に行われる「おのだ七夕祭り」の準備に携わっているところです。青年部の方々は楽しみながら活動していて、一緒にいると感化されます。ただ、青年部には年齢制限があるため、娘の手が離れたらほかの地域活動に取り組みたいと思います。また仕事においては、山陽小野田市の幅広い分野について理解を深めて、この地域を対象とした研究をしていきたいです。すでに食育や、高齢者を対象にした体操の効果について分析を行っています。

綾子さん:
私は、家族みんなが平穏に暮らしていけたら、それが一番です。周りに素敵な場所がたくさんあるので、これからもいろいろな場所に出かけて楽しく過ごしたいですね。

Q.移住を考えている人にメッセージをお願いします。

綾子さん:
住み始めたばかりの頃は、山陽小野田市に対して何の知識もありませんでした。しかし、周りの方々に質問することで、仲良くなるきっかけを作ることができました。十分な予備知識がなくても、それはそれでよかったなと思っています。また、お子さんがいるご家庭は、できるだけ小さい頃のほうが移住しやすいかもしれません。親のエゴかもしれませんが、幼稚園や小学校に通っていたり、多感な年頃になったりすると、転校して環境ががらりと変わってしまうのはかわいそうですから。

洋さん:
Uターン、Jターンは、親孝行をするうえで、とてもよい選択肢だと思います。私自身、山口県に戻ってから、両親に娘を見せる機会が格段に増えました。実は、東京にいた頃はあまり帰省できていなかったため、娘が私の父を見ると怖がって泣いていたんですよ。しかし、一緒にいる時間が増えたことで徐々に慣れていき、娘のほうから抱きつくようになりました(笑)。娘が体調を崩した時は、車で病院に連れて行ってくれることもあります。このように、両親の助けを借りながらも親孝行ができています。

綾子:
やはり、何かあった時に頼れる人が近くにいるかいないかで、精神的にかなり違います。あとは会話のなかで、慣れ親しんだ方言が飛び交うのでホッとしますね。出身が東京で、そこから山口に移住するとなると、少しハードルが高いかもしれません。しかし山口県出身で現在、県外で生活しているのであれば、選択肢としてUターン、Jターンは十分ありだと思いますよ。

※当インタビューは、2022年7月20日に行われたものです。