いつか山口に帰って貢献したい。
世界中のどこで暮らしても
変わらなかった思いを実現するために
59歳で地域おこし協力隊に。

7つの会社を立ち上げ、50以上の新規事業に携わった
経験やノウハウ、人脈を地元のために活かしたい。
Q.これまでの経歴を教えてください。

出身は山口県長門市です。子どもの頃から外国に興味があり、下関に寄港するロシアの漁船を見に行ったり、中学生の頃は海外のラジオの短波放送を聞いたりして、いつか海外に出て日本人としての力を試したいと思っていました。両親に大学は行っておけと言われて受験したものの志望校に受からず、福岡市にある予備校に入ることになったんです。すると特待生ということで学費が免除になって手元に戻って来て、そのお金でオーストラリア行きの航空券を買ってシドニーに渡りました。空港から電話で報告した時、母は泣き崩れましたが父は「でかした!」と言っていましたね(笑)。

オーストラリアではさまざまな仕事をしてお金を貯め、20歳で東京に戻って半導体商社の会社を立ち上げました。当時はパソコンの需要が高まっていた時代で、最初は苦労したものの事業は軌道に乗り、香港やシンガポールに子会社を構えるほどに成長しました。ただ、私はお金儲けにはあまり興味がなく、会社を大きくすることよりも新しいことに挑戦することを面白いと思う性分なんです。そこで半導体商社はやめて、それからゲームソフト開発会社、ITベンチャー、広告配信メディアなど、最初の会社と合わせて7社の立ち上げ、50件ほどの新規事業に携わってきました。

その後、2012年に香港の投資会社に事務所開設を任され、単身でミャンマーへ渡りました。そのほかにミャンマーではコンサルティングやアドバイザリーの仕事を手がけるほか、国営放送局で日本製品を専門に扱うテレビショッピング番組を立ち上げ、私自身が外国人初のテレビ司会者として表に出ていました。その様子はNHKワールドニュースなどでも取り上げられたんですよ。そしてミャンマー人の女性と結婚し、2018年に妻と一緒に帰国しました。帰国後は東京に暮らし、日本酒を海外へ広める事業などを手がけていました。

とにかく自分の興味があって面白いこと、そして人がよろこぶことをやってきました。誰かによろこんでもらえるとうれしいじゃないですか。

事業の傍ら、個人でミャンマーの首都ネピドー近郊の小学校へ黒板、ノート、縄跳びなどの寄付活動も行っていた。
司会を務めたテレビショッピングの番組は、ミャンマー国営新聞の1面でも取り上げられた。
Q.山陽小野田市にJターンするまでの経緯を教えてください。

山口に帰ることを決めたきっかけは両親の介護です。特に母の認知症が進んでいたので、私が帰って世話をしようと思いました。国内外のどこで暮らしていても、いずれは山口に戻り、今まで培ってきたノウハウや人的なネットワークを最大限に活かして恩返しをしたいと思っていたので、今回がそのタイミングだったのだと思います。そこで山口を活気づけるために何か自分にできることはないかと思い、地域おこし協力隊に着目しました。当時59歳の私でも応募できそうなのが山陽小野田市でした。面接に行ったらこんな経歴のオヤジがきて担当者もちょっと困惑した感じでしたね(笑)。最初は車の運転免許を持っていないからといって断られそうになったんですよ。だから教習所に通って免許を取り、「これで採用ですよね!」と再び市の担当者の元に出向き、無事に採用されました。

受け入れてくれた地域の人々に感謝しながら、
地域の魅力発信や農業にチャレンジしています。
Q.現在の仕事について教えてください。

山陽小野田市の北部、国道316号沿いにある川上地区の地域おこしを全般的に行っています。人口80人強のお年寄りが多い地区なので、地域活動や農作業、日々の困りごとなど人手が足りていないところを中心に手伝うほか、自分自身でも畑を借りて農業をしています。早朝から農作業や草刈りをして、午後はデスクワークをすることが多いですね。

市の中心部から車で20分ほどで到着する川上地区。のどかな風景が広がる。
勤務先川上会館の一室でデスクワーク。

地域おこし協力隊になった1年目は、地域の方々から労働力として認められることを目標にしました。どんな活動をしているか知ってもらうために「川上通信」という新聞も作っていて、そのおかげで声をかけてもらうことも増えました。また、毎週火曜と土曜の朝7時から12時まで開いている新鮮野菜の直売所「ゆめ市場川上」で、土曜にコーヒーを無料で提供しています。毎週のように来られる方が多いので、会話も弾むようになりますし、私にとっても地域の情報を拾うひとつの機会になっています。

毎週土曜日に林さんがコーヒーを提供している「ゆめ市場川上」。
地域で育てられる野菜はすぐ売り切れるほどの人気。

2年目からは、“自然が豊かで人がやさしい”というどこの農村にも当てはまる魅力だけにとどまらないように地域のブランディングに取り組んでいます。まずは人口80人強の地区にロゴやキャラクターがあったら面白いと思い、友人が副校長を務める東京のクリエイティブ系専門高校の授業で生徒さんに地域ロゴを考えてもらいました。「めぐみ ほほえみ かわかみ」というキャッチコピーをもとに作られたもので、豊かな自然を表す緑、山陽小野田市のイメージカラーのオレンジ、そして川上の「K」がデザインされています。また、岩手県の製菓メーカーの監修のもと、固くならない餅「貞任餅(さだとうもち)」を作るなど、地域の特産品の開発にも取り組んでいます。こういった活動を通して、川上地区を山口県で誰もが知る地域にできればと思っています。

川上地区のロゴマークが、地域で作られた商品の目印に。
固くならない貞任餅は、餅まきが盛んな山口県での需要に期待。
Q.移住して新しく始めたことはありますか?

これまで自分で手を動かして農業をしたことがなかったので試行錯誤しながら作物を育てています。川上地区の新しい名物になればと思い、ミャンマー野菜の栽培にも取り組んでいるんですよ。日本には5万人近くのミャンマー人が住んでいて、私の妻もコミュニティに通じているので、流通網はすでにできているようなもの。日本では手に入りづらいミャンマー野菜がビジネスに繋がるのではないかと思い、現在はミャンマーでよく飲まれるスープに欠かせないハイビスカスの一種「ローゼル」やスーパーフードと呼ばれるモリンガなどを栽培しています。うまくいけば、ミャンマーにいる義理の兄弟を呼び寄せて、こちらで仕事ができるようになればと思っています。
ほかにも獣害が多いので狩猟免許を取ったり、今後のために農村プロデューサーの養成講座に通ったりしています。

赤い実を付けるローゼル。葉はミャンマー人が毎日飲むスープに使われる。
Q.移住して感じる地域の魅力を教えてください。

川上地区の人たちは、うまい具合に気を遣ってくれたり心配してくれますし、こちらが声をかけたいと思った時にはそうしやすい雰囲気を作ってくれるなど、距離感が絶妙だと思います。ご高齢の方が多く、そのあたりが上手なのでコミュニケーションを取りやすいですね。なおかつ私のように特殊なタイプの人間をすっと受け入れてくれる度量の深さにただただ感服しています。

Q.移住後、約1年が経ちますが、感想を教えてください。

地域おこし協力隊の最初の面接の時、「あんな怪しい人が来て大丈夫?」と言われていたそうなんですよ(笑)。1年以上が経った今、「こんな人が来てくれてよかった」という雰囲気になっているのがうれしいですね。「立志は特異を尊ぶ」という吉田松陰の言葉にあるように、志を立てるには人と異なることを恐れてはいけないと思っています。国内であっても海外であっても、都会であっても田舎であっても場所は関係なく、どこにいても私がやることは変わらないですね。

Q.暮らしのなかの楽しみはどんなことですか?

温泉めぐりを楽しんでいます。市内の温泉も行きますし、下関まで足をのばすこともあります。露天風呂で山口の空気を吸いながら、新しい事業のアイデアがこの地域に合っているかどうかを考えています。それと、最近川上地区の有志で始めた麻雀も楽しいです。指先の運動になり、脳もフル回転。話も弾むのでお年寄りの認知症対策にもいいですね。

地域の人々とイベントについて相談する林さん。
認知症予防のための健康麻雀を川上会館で開催。
これからもここを拠点に社会問題の解決や
起業家育成などを行っていきたい。
Q.これからどんな活動をしていきたいですか?

次に続く人のためにも、地域おこし協力隊として住民の方々のために働きながら3年間の任期を務めたいと思っています。そしてその後は、ここを拠点に山陽小野田市、山口県の地域活性化や社会問題の解決に繋がるようなことを行っていきたいですね。新規事業の立ち上げをしたいという人を集めた起業家育成の塾を開くことなども考えています。

Q. 山陽小野田市に移住を考えている人にメッセージをお願いします。

何事も上をめざせばきりがないですし、その分期待も大きくなって落胆することが多くなります。ごく普通の安定した生活を送るなら、交通の便がよく、生活費が安い山陽小野田市は最適な場所ではないでしょうか。何かに追われて生活する都会から、マイペースで毎日を家族と過ごせることの大切さを理解している方なら、きっと満足して暮らせると思います。

※当インタビューは、2024年9月27日に行われたものです。