“山陽小野田市をガラスのまちに”
その想いを受け継ぐために移住を決意。
一目ぼれした焼野海岸の景色を眺めながら、
日々創作に励んでいます。

 

ガラスに導かれて山陽小野田市へ。
多くの人を惹きつける景色に魅了されました。
Q.山陽小野田市に移住した経緯を教えてください。

ここに来る前に暮らしていたのは、ガラス工芸が盛んなまちとして知られる富山県富山市です。「富山ガラス造形研究所」でグラスアートを学び、「富山ガラス工房」という、造形作家の活動拠点であり、一般の方々の体験なども行う施設に勤務していました。

そろそろ独立しようと思い、場所を探していた頃、2001年に小野田市(現在の山陽小野田市)で「第1回現代ガラス展inおのだ(現在の現代ガラス展in山陽小野田)」が開催されることを知りました。山陽小野田市出身のガラス造形作家・竹内傳治先生が発案されたもので、若手作家の育成を目的としたコンペです。

ところが、竹内先生が開催を前に残念ながらお亡くなりになってしまい…。計画の存続が危ぶまれる状況でした。山陽小野田市はセメント業で知られ、6世紀後半には須恵器の生産、明治には製陶業が行われていた土地です。以前、竹内先生が「窯業のまちである山陽小野田市にガラス文化を作っていきたい」という夢を語られていたのを聞いていたこともあり、その意志を受け継ぐ一員になれたらと思って移住することを決めました。

Q.移住の決め手となったことはありますか?

「第1回現代ガラス展inおのだ」で準大賞をいただき、初めて山陽小野田市を訪れました。その時に魅了されたのが、焼野海岸のロケーションの素晴らしさです。キラキラと輝く穏やかな海、美しい夕陽など、この風景をすっかり気に入ってしまったんです。海岸沿いにある建築家・隈研吾さん設計のレストラン「ソル・ポニエンテ」で食事をした際に、隈さんもこの場所に感動して建物を建てたと聞きました。海のそばで生まれ育ったので、工房を開くなら海が見える場所でと考えていたこともあり、多くの人を惹きつけるこの場所で創作をしてみたいと思いました。

夕陽を眺めながら食事を楽しめるスペインレストラン「ソル・ポニエンテ」。池本さんは2階の席がお気に入り。
Q.知らない土地で暮らすことへの不安はありませんでしたか?

出身が隣の広島県なので、遠く離れたところに住むという意識はありませんでした。穏やかな瀬戸内の気候や人のあたたかさ、言葉も似ていますし、自分の育った場所に近いところで暮らすという気持ちでした。新しい土地なので、それなりの不安はありましたが、それ以上に、素敵な環境の中で自分の仕事を続けられるという期待のほうが大きかったですね。

 

恵まれた環境で創作できることに感謝。
地域の人々と力を合わせて
“ガラスのまち”を盛り上げていきたいです。
Q.現在の仕事について教えてください。

焼野海岸沿いにある、2004年に開館した生涯学習施設「きららガラス未来館」で創作活動や、ガラス体験・講座の講師を行っています。当初は私を含め2名の作家から始まりましたが、現在は6名の作家が所属しています。多くの作家が神奈川や京都、香川など県外出身者です。

日中はきららガラス未来館の体験の指導や、チームで吹きガラスの制作をすることが多いです。吹きガラスは竿の先にガラスを巻いて吹くのですが、大きいものになると一人では作業ができません。他のスタッフと一緒にタイミングを合わせて一緒に造って行くんです。ちょっとスポーツのような感じですよ。夜は加工作業や、提案の仕事など自分だけでできる仕事をしています。

気軽にガラス制作体験ができる「きららガラス未来館」。建物は建築家・隈研吾さんの設計。
「きららガラス未来館」では、池本さんをはじめ、所属する作家の作品を展示・販売している。
Q.仕事の楽しみを教えてください。

ガラス制作体験の指導を行うことを大切にしています。きららガラス未来館が開館して17年になり、私もたくさんのお客さまと出会うことができました。長年、通ってくださっている方もいて、そういった方々と交流できるのがとても楽しいですね。私たち作家の作品展示があれば観に行ってくださるなど、みなさんガラスに興味をもっている方ばかり。ガラスが交流を生み、人と人を繫げるものになっていると感じられることが楽しいですし、うれしいです。きっとこの場所での出会いや経験が私の作品にも反映されていると思います。

 

─ 池本さんが移住後に制作した作品 ─

Seidan (2019年)
Water Moon (2020年)
Q.これからの目標を教えてください。

ガラス造形の仕事を続けられるこういった施設は多くありません。作家活動をする人にとってとても貴重な場所なのです。私も約20年、こうして作家活動ができていることはありがたいことですし、若手も育ち、根付いてほしいと思っています。

そして、もっと山陽小野田市の方々と関わっていきたいと思っています。これまでにも子どもたちと一緒にガラス壁画をつくったり、手型のモニュメントを制作したりしてきました。いまも開園予定の保育園に設置するガラス壁画を地域の子どもたちと制作しています。先日、きららガラス未来館にある2005年に制作した夕陽のガラス壁画の前で、親子が「この絵はお母さんが小さい時に描いたのよ」と話しているのを見て、とてもうれしくなりました。きららガラス未来館では、お子さんの手形や足形をガラスに絵の具で写し取り、動物に見立てたり、かわいい絵柄を描いたりするプレート作成体験も好評です。山陽小野田市で生まれ育ったから、ガラスを通して思い出ができた。そういう風に地域の方々に思っていただく機会を増やすことができればうれしいです。

また、山陽小野田市のガラスのブランド化にも取り組んでいて、ガラスの中に夕陽をはじめとする環境の色を取り込む構想があります。ガラスのブランド化の取り組みを通じて、ガラスのまち山陽小野田市を広く知っていただくのが楽しみです。

親子でつくる、手形・足形をあしらったガラスプレート。色とりどりのデザインが目を引く。
きららガラス未来館の外には、2006年に子どもたちの手形を取って制作したガラスの夢プロジェクトのモニュメントが展示されている。
来館者へ作品の説明。ガラスを通じて、日々新しい交流が生まれている。
館内には、山陽小野田市を象徴する「スマイル」をモチーフにした作品も並ぶ。
移住してからは、夕暮れ時の散歩が日課に。
都市圏へのアクセスもよく、不便を感じることはありません。
Q.山陽小野田市の暮らしやすさはいかがですか?

気候は穏やかですし、海も山も近く、とても暮らしやすい場所です。普段は海側で暮らしているので、休日には山にドライブに行ったりして、どちらも身近な環境を満喫しています。山口県は道路も整備されているので、気軽に日本海側に遊びに行くこともあります。また、食材が豊富なので料理も楽しいです。すぐそばの「きらら交流館」や道の駅で購入できる朝採れの野菜は味が違います。海が近いので魚の鮮度も抜群ですよ。仕事関係の方が東京などから来られると、おいしい食べ物や美しい景色にすごく感動されています。「混雑せずにこんなきれいな景色が見られるなんて貴重だ」と。本当にそうですよね。

Q.生活のなかで楽しみにしていることはありますか?

ここにきて、日常の中に楽しみを見つけることが増えました。焼野海岸を散歩することが日々の創作の息抜きになっています。特に日没前後のマジックアワーの時間帯、どこからともなくさまざまな人が集まってきて思い思いの時間を過ごしている、そんな風景と夕陽、海を見るのが好きです。海の音を聴きながら、また、きらめきを眺めながら創作を続けられているのが何よりの幸せです。

「ここに住むようになってから、散歩する機会が増えました」と池本さん。
焼野海岸の夕陽は、「日本の夕陽百選」に選ばれている。
Q.不便に感じることはありませんか?

普段の暮らしで不便に感じることは特にありません。仕事柄、東京や大阪への出張があるのですが、都市圏へのアクセスも便利ですよ。車で20分程度の場所に山口宇部空港があり、朝出発すれば東京の午後いちの会議に間に合うくらいです。大阪へは市内の厚狭駅から新幹線で向かうことができます。

Q.山陽小野田市に移住を考えている人にメッセージをお願いします。

私は移住してもうすぐ20年になります。同じようにこの場所に惹かれ、長く住んでいる人もたくさんいらっしゃいます。知り合いがいないなど、躊躇することはあるかもしれません。でも、どんどん話しかけてみたら、よろこんで協力してくれる人がたくさんいると思います。移住を考える理由は人それぞれだと思いますが、住む場所としてはとてもおすすめです。私は移住して本当によかったと思っています。

※当インタビューは、2021年10月1日に行われたものです。