音楽を通して山陽小野田市をPR!
人々の温かさや自然に触れるうちに
歌うことの原点に返り、
作る歌も穏やかになりました。

音楽活動のなかで深まった地元の人々との繋がり。
地域おこし協力隊の募集をきっかけにUターンを決意。
Q.山陽小野田市にUターンするまでの経緯を教えてください。

高校卒業後に山陽小野田市から上京して20数年間、ずっと東京で暮らしていました。シンガーソングライターとして活動し始めた頃は地元との関わりがほとんどなかったのですが、いつからか山陽小野田市の応援ソングやイベントソングなどを書く機会やライブのお誘いをいただくようになり、東京に住んでいながら山陽小野田市の人たちとの繋がりが増えていきました。そうしているうちに山陽小野田市のコミュニティFM「FMスマイルウェ~ブ」に勤務しながら、音楽やラジオを通して市のPRをする地域おこし協力隊の募集があることを知り、採用が決まったのでUターンしました。

Q.長く住んだ東京を離れる気持ちはいかがでしたか。

ずっと東京に住むつもりはなく、両親が元気なうちに山陽小野田市に帰ってきたいと思っていたので、今回がそのタイミングだったんだと思います。本音を言うともう何年か後を想定していたんですけどね(笑)。自分がギターを持って歌いに行けばいい仕事なので、どこに住んでいてもやることはあまり変わらないというくらいの気持ちでした。

写真:緑の自然を背景に、青い半袖シャツを着た男性がインタビューを受けている様子
コミュニティFMのパーソナリティや
SNSを通して山陽小野田市の情報を発信しています。
Q.現在の仕事について教えてください。

山陽小野田市のコミュニティFM「FMスマイルウェ~ブ」に、地域おこし協力隊として勤務しています。地域おこしのためのミッションは、音楽やラジオを通して山陽小野田市をもっと多くの人に知ってもらうこと。週に4~5本のラジオ番組を担当し、パーソナリティとして声を届けています。ほかにも山陽小野田市の観光協会と連携し、SNSの更新やイベントの企画、テレビ番組への出演など市のPRにも携わっています。6月には「大阪・関西万博2025」での山口県催事に参加し、ステージイベントで山陽小野田市の魅力発信に加え、応援ソング「スマイルシティ」を披露しました。

写真:ラジオ局のブースでマイクを前にトークする男女のパーソナリティ
パーソナリティとして週に4~5本の番組を担当。
写真:ラジオ局の機材を前に、ヘッドフォンをして収録音声を確認している男性
放送の音量など調整するミキサーの仕事を自ら行うことも。
Q.仕事の楽しさややりがいを教えてください。

応援してくれる人が増えていることを実感できる時にやりがいを感じます。「FMスマイルウェ~ブ」はスマートフォンのアプリで全国から聞くことができるので、僕のライブに来てくれる方がラジオ局のファンになってくれたり、県外から地元でのライブに足を運んでくれたりしていて、山陽小野田市に興味をもつきっかけになっているのがうれしいです。ラジオに加えてイベントやテレビなどで市のPRを行う機会も多く、地元の方たちから声をかけられることも増えました。地域のみなさんが受け入れてくれていることにも感謝しています。そうそう、総務省が毎年発表する「地域おこし成功事例」に今年選ばれたんですよ。僕は楽しく働かせてもらっているだけですが、活動が認められるのはありがたいですね。

Q.これから取り組みたいことはありますか。

山陽小野田市には、まちづくりを応援する個人や会社を登録する「スマイルプランナー」という制度があり、そのなかでも特に発信力が大きい人を「スペシャル・スマイルプランナー」に認定していて、僕も2021年に第1号の「スペシャル・スマイルプランナー」に選ばれています。そんな人たちをもっと知ってもらうきっかけになればと思い、カードゲームとして遊べる「スマイルプランナーカード」の制作を進めています。個性強めの面白い人がたくさんいるのでこれを機に広まるといいですね。

写真:カードゲームのカードを2枚持っている手。青いカードと黄色のカード。
ゲーム機能に加えてプロフィールの確認もできる「スマイルプランナーカード」
都会暮らしが一変、山や海が生活の一部に。
SUPや釣りなど新しい趣味も楽しんでいます。
Q.移住して生活はどう変わりましたか。

夜はちゃんと暗くなり、朝は光が差してくる静かな環境で暮らすうちに、早寝早起きの健康的な生活になりました。東京では夜は飲み歩くことが多かったのですが、いまは朝早く起きて「竜王山」に登り、夕方は「きららビーチ」の砂浜で夕陽を眺めながらギターを弾く、そんな生活です。散歩が好きなので東京ではいろんな道を散策していましたが、「竜王山」は毎日同じ道。でも季節によって咲いている花や風の匂いが違うんです。都会では気づかなかった自然のなかで暮らす楽しさを感じています。

そして最近は海でSUPや釣りもするようになって、新しい趣味になりそうです。東京にいた時は時々自然を求めてキャンプに出かけていましたが、いまは自然のなかに暮らして時々都会を求めて出かけるようになりました。“毎日キャンプ、時々都会”という感じのバランスがいまは最高に心地いいです。

写真:晴天のビーチで、サーフボードのオールをもってピースサインする男性
波が穏やかな「きららビーチ」でSUPを楽しむ西広さん。
Q.参加している地域活動はありますか。

最近、地区の消防団に入りました。15~20人くらいの規模で、若い人も結構いますよ。普段の行動のなかでは出会えないような人と交流ができるのが楽しいですね。まだ2回しか会合に参加していないのですが、これから仲良くなっていきたいですね。今度みんなで食事に行くのを楽しみにしています。

Q.暮らしのなかで不便に感じることはありますか。

車の運転免許がなかったから帰ってきてすぐに取ったくらいで、ほかには不便に感じることはあまりないですね。山陽小野田市って本当に便利なんですよ。新幹線の駅や高速道路のインターチェンジもある、空港も近い、道路は混まない。山も海もなんでもあるんです。だから僕は「山陽小野田はちょうどいい“都会”です」ってよく言うんですよね。すごく暮らしやすい場所だと思います。

Q.山陽小野田市の印象は変わりましたか。

高校生の時は窮屈に感じて早く出たかった場所ですが、帰ってくると改めて気づく魅力がたくさんあります。特に人の優しさや暮らしている人同士の仲の良さを感じることが多いのもいいですね。市役所の職員さん、ラジオ局のスタッフ、リスナーの方々など、触れ合う人たちが本当にみんな親切なんです。一度、離れたからこそ気づけたことかもしれないですね。

Q.ご自身の変化はありましたか。

大切にしたいものの価値観が変わりました。例えば、生活の中に自然が必要ない人もいると思うのですが、自分には必要なものだったとわかりました。引っ越して来た時には「きららビーチ」の海に入るなんて想像もしていなかったですけど(笑)、いまではすっかり自然が生活の一部です。そして作る歌にも変化がありました。東京にいた頃は生きる難しさがテーマだったりする歌が多かったのですが、ここに住むようになって“のほほん”とした優しい歌が増えました。

写真:岩場でギターを弾く男性。
市の最南端にある「本山岬公園」のくぐり岩も西広さんのお気に入りの場所のひとつ。
任期が終わっても山陽小野田市に住み続けたい。
本当は内緒にしておきたいくらいおすすめの場所です。
Q.移住して一番よかったのはどんなことですか。

正直に言うと移住する前は、シンガーソングライターとして生きてきたのにほかの肩書が付くことに少し葛藤があったんです。でも音楽を通して地域おこし協力隊の活動をしてみると、「ありがとう」と言ってもらえることが想像以上に多く、歌を歌って人によろこんでもらうことが自分の仕事だということに改めて気づくことができました。ヒットチャートには届かないけれど、目の前にいる人に歌を届けたい。そういう風に、歌を歌うことの原点に返れたのが一番よかったことだと思います。僕の音楽を大切にしてくれる人が周りに多いので、そう思えるようになったのではないでしょうか。

Q. 山陽小野田市に移住を考えている人にメッセージをお願いします。

若いうちは都会で暮らしてよかったと思いますが、この歳になると山陽小野田市のよさを実感しています。街の賑わいや自然の豊かさなどいまのバランスがちょうどいいので、本当は内緒にしておきたいくらいなのですが(笑)、移住を考える人にもとてもおすすめの場所です。僕もいまの暮らしを気に入っているので、地域おこし協力隊の任期が終わってもここに住み続けるつもりです。環境を変えるのは大変ですが、勇気をもって変えてみると何かが変わるかもしれません。

写真:緑の自然を背景に、青い半袖シャツを着た男性がインタビューを笑顔で受けている様子

※当インタビューは、2025年7月24日に行われたものです。