海外や東京で暮らしていた時も、
ずっと続けられることを探していました。
山陽小野田市に戻ってきて農業に打ち込み、
満ち足りた生活を送っています。

「私たちも東京に出て来ようか」
両親の言葉にUターンへの決意が固まりました。

Q.山陽小野田市にUターンするまでの経緯を教えてください。

私は山陽小野田市出身で、高校生の時まで埴生地区に住んでいました。鳥取県の大学に進学し探検部に入部したことを機にヒマラヤ周辺の地に魅せられ、20代の頃はお金を貯めて中国やネパール、インド、パキスタンなどにバックパッカーとして滞在していました。その後は東京に移住して、秘境専門の旅行会社や、国際協力機構で働きました。山陽小野田市に戻って来たのは30代後半の頃です。私だけではなく、弟と妹も地元を離れて東京に住んでいたので、両親が「子ども3人いるのだから、私たちも東京に出てこようか」と言うのを聞いた時に、私の心のなかに「帰りたい」という気持ちが芽生えたのです。山陽小野田市は私にとってたくさんのいい思い出があるふるさと。その土地に家族がいなくなるのはとても寂しいことだと感じ、地元に戻ることを決意しました。

海外での暮らしも楽しかったですし、東京もいい場所だと感じていたのですが、離れてみるとふるさとの良さにも気づくものです。当時は結婚をしていなかったのですが、家族をもって暮らすなら、自然豊かな山陽小野田市がいいと思っていたことも後押しのひとつとなりました。

研修を経て新規就農し、
現在はトウモロコシを中心に育てています。
Q.現在の仕事について教えてください。

山陽小野田市へのUターンを機に新規就農し、農業を営んで9年目になります。山陽小野田市に戻って来た時、仕事のめどはありませんでした。大学は農学部だったので漠然と農業への思いは持っていたのですが、実家は農家ではないですし、実際にここで農業を始めるにはどうすればいいのか最初はわからなかったですね。そこで、隣の宇部市にある農業研修施設で体験研修を受けたり、いろいろ調べたりするうちに農業で生計を立てる見込みが立ち、約2年の研修期間を経て新規就農しました。

山陽小野田市にはカボチャやアスパラガスなどの特産品がありますが、自分が育てたい品目にも取り組みやすく、自由度の高さを感じています。私は、研修期間においしさや生育方法に魅せられたトウモロコシを中心に、冬はブロッコリーなども育てています。

Q.仕事を始めるにあたって、大変だったことはありますか?

農地を探すのが大変でした。実家は農家ではないので田畑はありません。山陽小野田市の農業委員会や研修先を通して農地を探すことにしましたがなかなか条件に合う土地が見つからず…。最終的には父の同級生に現在の福田地区の農地を紹介してもらうことができました。山間部である福田地区はトウモロコシ栽培に適しているとは言いがたいのですが、それ以上に私の農業への理解や、応援してくれる気持ちを感じられたのでここに決めました。農業を始めて約9年になりますが、今では作付面積も2倍ほどになりました。また、地域の田植えや稲刈りなどの共同作業に参加したり、自分から積極的に溶け込もうとしてきたことで、地域の一員として認めてもらえるようになったことを感じています。これからも福田地区でのトウモロコシ生産を続け、地域に継承していきたいと思います。

福田地区にある農地でトウモロコシを栽培。ピクニックコーンやゴールドラッシュなどさまざまな品種を手がける。
Q.仕事のやりがいを教えてください。

トウモロコシは味に関してシビアなリアクションが返って来ることが多い作物です。なので買ってくれた方から「おいしい」という声をいただくのが一番うれしいですね。自分で最適だと見極めたタイミングで収穫し、その通りの出来だった時にもうれしさを感じます。

Q.山陽小野田市での農業の取り組みやすさを教えてください。

始めたばかりの生産者を応援しようという気持ちを県や市からはもちろん、農協や仲買、青果店などの農業関係者、そして消費者からも感じるので農業を始める人にはとてもやりやすい土地なのではないでしょうか。個人販売する体制も整っているので、売り上げにも繋がりやすいと思います。

Q.仕事を始める際に活用した制度はありますか?

山陽小野田市は新規就農者への支援が手厚く、5年間で最大2,000万円の補助を受けることができます。もちろん必要経費のすべてではありませんが、農機具や施設の購入・リースなどの補助、家賃補助などもあるのでとても助かりました。また、市の農林水産課のサポート体制が整っているのも心強い点です。新規就農の時はもちろん、今でも相談にのってもらうことが多いですね。

Q.参加している地域活動はありますか?

「埴生てる」という地域活性化のためのグループに携っています。農業や漁業に携る人のほか公務員や銀行員、大学関係者、学生なども参加し、それぞれの仕事や立場から地元産業の活性化や賑わいの再生を目指して活動をしています。毎月マルシェを開催し、農作物や水産品、ハンドメイド作品、お菓子などを販売しているのですが、さまざまな人が足を運んでくれています。新しい人と知り合ったり、しばらく連絡が途絶えていた同級生との交流も再び生まれたり、農業以外の繋がりができるのも楽しいです。
 

高校生の時は刺激が足りないと思っていた環境が
今ではとても恵まれたものに感じます。
Q.Uターン後、生活はどう変わりましたか?

こちらに戻ってきて農業研修を受けていた頃に知り合った女性と結婚し、子どもにも恵まれて4人家族になったことが生活の最も大きな変化ですね。また、東京での勤め先は勤務時間が不規則だったのですが、農業を初めてから規則正しい生活になりました。トウモロコシは日が昇る前に収穫するのがおいしさの秘訣なので、最盛期の夏は朝2時半頃から収穫をします。その後、青果市場やスーパー、個人販売先などに持ち込むなど忙しくしているので、夜はぐっすり眠ることができます。

Q.休日の過ごし方を教えてください。

生き物相手の仕事なので、完全な休日というのは正直に言ってほとんどないですね。でも、会社に勤めていた頃は、休日といっても自分ではどうにもできない心配事があって休まらないことも多かったのですが、今は自分がコントロールできることがほとんどで、心を休ませることができるので精神的にも肉体的にも健康です。時間がある時は、子どもと一緒に新幹線を見に行ったり、石山公園に登ったりすることもあります。
 

小学生の頃、友人と一緒に登っていた「石山公園」。今ではお子さんと一緒によく訪れるそう。
220m~240mの丘陵地にある「石山公園」の山頂からは、関門橋や九州北部が一望できる。
Q.暮らしのなかで不便に感じることはありますか?

山陽小野田市の生活環境は充実しているので、車さえあれば不便を感じることはないですね。暮らしのなかで必要なものは市内や近郊で十分に揃いますし、野菜などの直売所も多く、選ぶ楽しみもあります。逆に東京の都心に住んでいた頃のほうが、普段の生活の必需品を揃えることが難しかったように感じます。
 

Q.以前住んでいた時と、印象の変化はありますか?

高校生の頃は刺激が足りないと思っていましたが、今ではこの場所での生活がとても満ち足りたものに感じます。家族や住環境など必要とするものがすべて揃っているので、外に出たいと思うことも今ではないですね。
 

Q. 移住してよかったと思うのはどんな時ですか?

若い頃は、ひとつのことを長く続けたことがありませんでした。海外に身を置いたり、地元を離れて働きながら、自分がずっと続けられることを模索していたのだと思います。それを地元に帰ってきてしっかりと見つけることができたのがよかったことです。

Q. 山陽小野田市に移住を考えている人にメッセージをお願いします。

自然が豊かで、商圏も充実している山陽小野田市は、私が始めた農業だけでなく、そのほかの職業を選んだとしても、生活の質を落とさずに自分のやりたいことに集中して取り組める土地ではないかと思います。農業に関しては、地域の方々や関係機関、農協など応援してくれる人が多く、理解もあり、自分がやりたい農業に取り組みやすいと思います。私と同様に新規で農業を始めた人も多いですよ。自然相手なのでうまく行く時も行かないときもありますが、自分の芯をしっかりともち、一歩一歩取り組むことが大切です。一緒に山陽小野田市の農業を盛り上げていく人が増えるとうれしいですね。

※当インタビューは、2023年10月11日に行われたものです。